机を蹴飛ばされても前に進む「異色の官僚」

経産省 製造産業局 生物化学産業課長 江崎禎英(上)


東洋経済オンライン連載 2014.4.30

Category: Interview
2014.04.30

江崎禎英氏

 

「絶対にムリ」と言われた改革

三宅:それが国会でもマスコミでも取り上げられるようになって、ついに店頭市場から実質基準はなくなりましたね。それからマザーズができて、われわれは今、その恩恵を受けています。今ではすっかり当たり前になりましたが、ストックオプションも江崎さんの仕掛けですね。当時は、店頭市場改革、ストックオプションと、次々に大玉の改革が世の中に出ていき、連日のように新聞をにぎわせていました。すべては通産省の、しかもたったひとつの課で仕掛けていたわけですね。

江崎:ストックオプション自体は以前から存在していましたが、これをベンチャー企業の活性化に使おうとしたときは、「頭がおかしいんじゃないか」と言われました。当時は雰囲気としても、金融制度について通産省が大蔵省に議論を仕掛けるなんてありえなかった。通産省にいた金融機関からの出向者には、「絶対にムリ!」と太鼓判を押されました(笑)。

三宅:覚えています。絶対ありえないって感じでしたよね。

江崎:最初は大蔵省と厳しい応酬がありましたし、日本証券業協会に課長と一緒に呼び出されて、大会議室で被告席(?)に座らされて詰問を受けるという経験もしました(笑)。

三宅:でも最初は反対していた大蔵省も日本証券業協会も、そのうちみんな仲良くなって、江崎さんの言うとおりだとニコニコしてくれていたように感じましたよ。

江崎:マスコミの方々の協力もあって、徐々に世の中の流れが変わり始め、最終的にどういう数値基準にするかという段階では、大蔵省の担当者と週末に電話で相談できる関係になりました。終わったとき、向こうから「ありがとう」と言ってもらえたのがうれしかったですね。

三宅:部外者と思われていた通産省だったけれども、ひたすら勉強して、相手のフィールドに立ったからできたのでは?

江崎:他省庁の領域に手を出すなら、相手と同じくらい知識がないと失礼だし、プラスαの情報がないと話を聞いてくれない。にわか勉強で「こうしろ、ああしろ」と言うのでは、かえって関係がこじれます。とにかく現場の話を聞き、制度の勉強をして、「こうしたほうがいいんじゃないですか?」と提案する。どうすればいいかは、私が考えなくても現場で活動をしている企業の皆さんが答えを持っています。要はそれをどうやって実現するか。法律や制度のカベに阻まれて、民間企業ではどうすることもできない問題はたくさんあります。

 そうした意味では、店頭市場改革の直後に取り組んだ外為規制の問題は、その典型的なケースだったかもしれませんね。

三宅:どんな仕事でしたか?

江崎:店頭市場改革が実現して間もなく、為替金融課への異動を命じられました。1ドルが79円にまで値上がりした直後だったので、正直、ひどい人事だなと思いました(笑)。

 早速、そこで突き当たった問題が、外国為替の取引規制でした。当時、日本では外貨の取り扱いは外為銀行にしか認められていませんでした。このため、たとえば、アメリカへの自動車の輸出やアジアからの部品の調達はドル建てなのですが、自動車メーカーと子会社が国内でドル取引をすることは規制されていましたので、自動車メーカーはいったん受け取ったドルを円に換えて国内の子会社と円で決済し、子会社はまたそれをドルに換えてアジアの企業と決済をするといったことが行われていました。この結果、外為銀行ではドルから円に交換し再び円からドルへと交換することで二重に手数料が入る仕組みになっており、円高に苦しむ国内企業には大きな負担になっていました。

 さらに当時、国際貿易取引では電子決済が普及し始めていましたが、日本では外為規制があるために日本企業がこれに参加することができませんでした。これでは日本企業が国際貿易から排除されるのではないかと懸念されていました。

 

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